中国の経済特区、中国現代都市 深圳

ホーム  ->  中国ガイド  ->  深圳  ->  概要
  • 出発都市:
  • 観光都市:
  • 滞在日数:
  • 価格予算:
  • テーマ:
お名前:
メール:
確認コード: 

メール:sales@dojintabi.com
電話:+86-571-85278086
ファックス:+86-571-85279099

深圳

香港の新界と接し、経済特区に指定されている。中国では、香港(23,125 ドル)・マカオに次いで所得が高い。 住民構成の特徴としては移民都市であることがあげられる。元来は宝安県として一集落に過ぎなかったものが、改革開放経済の過程で外部より労働人口が流入して都市が形成され、広東省でありながら広東語が使われる比率が極めて低い地域となっている。周代までの深圳は百越部族の支族とされる南越部族の居住地であった。中国の史書に登場するのは前214年の秦代であり、嶺南地区に南海、桂林、象郡の三郡が設置された際に深圳は南海郡に区分され中原文化との交流が開始された。 現在の深圳市に相当する行政区分が史書に登場するのは331年の宝安県設置である。東晋はこの地に6県を設置し、それを管轄する郡として東官郡を設置し現在の深圳市、東莞及び香港を管轄しており、群治が宝安県(現在の南頭地区)に設置された。 宋代になると宝安県は南方海上交易の拠点となり、また製塩業や米・茶葉栽培で繁栄し、元代には真珠の産地として史書に登場している。更に明代になると東莞守御千戸所ならびに大鵬守御千戸所が設置されると共に新安県が設置され、1573年、深圳は華南地区の政治の中心となっていた。 清末になると南京条約や北京条約により新安県の一部であった香港島及び九龍半島をイギリスが租借するようになり新安県が分割されると同時に、香港との国境の街としての歴史が始まった。中華民国が成立すると1913年に新安県は宝安県に改称された。 1953年、広深線の開通により、深圳地区の人口は増大し、商工業が発展していくこととなる。また同年県政府を従来の南頭より東に10キロメートルほどの深圳墟へ移動し、現在の都市構成の土台が成立している。 その後香港と隣接する地理的重要性から1979年3月、宝安県を省轄市の深圳市に昇格させ、1980年には改革開放路線を採用した鄧小平の指示により深圳経済特区が指定されると急速に発展した。なお、1981年副省級市に昇格し、1988年省級経済管理を認められている。