大同ー中国の彫塑の都市

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大同

大同市は山西省の最北端、黄土高原の東北部に位置している。桑乾河やその支流・御河が東の張家口市方面へ流れる。北部は長城により内モンゴル自治区ウランチャブ市の豊鎮市・涼城県に接し、西南は朔州市及び忻州市と隣接している。戦国時代には趙の版図であった大同は雲中、雁門、代郡が設置されていた。秦による中国統一後は雁門郡の管轄とされ、漢代に郡県制が施行され平城県がこの地に設置された。 モンゴルに近い大同は農耕経済と遊牧経済の設定に位置する地勢的条件により両文明の影響を強く受けている。前漢の建国者の劉邦は大同付近の白登山で匈奴冒頓単于との間で戦火を交え敗北している(白登山の戦い)。また鮮卑が建国した北魏は、398年から494年にかけて大同(当時は平城と称した)に都を定め、付近には石窟寺院である雲崗洞窟を残している。730年(開元18年)、唐は雲中県と改称している。五代十国時代、北方で勢力を伸ばした遼の援助により後晋を建国した石敬瑭は、援助の代償として燕雲十六州を遼に割譲、遼は1044年(重熙13年)に副都の一つとして西京大同府を設置、1048年(重熙17年)に大同県が設置され、行政区画の変遷が行われたが「大同」の名称が現在まで使用されることとなった。 明代になると北元に対抗すべく万里の長城を修築するなど、防衛政策を強化する必要に迫られた。大同は長城付近への物資輸送における中継地点として重要な役割を果たした。 中華民国が成立すると大同県は東西二県に分割されるが、1949年5月に共産軍が“解放”すると二県を合併し大同市を成立、察哈爾省の管轄とした。 1953年に山西省の管轄に変更され、1993年には雁北行署が廃止され大同市に編入され現在の行政区域が成立している。大同市は鉱物資源に恵まれ、大同炭田における石炭以外に、銅、鉄、金、銀、アルミニウム、亜鉛などの鉱石以外に石墨、リン、長石、ウンモ、石灰石などが算出され、環渤海経済圏に対する重要な原料供給地となっている。またこれらの原料を用いた重工業も発展している。