浙江省の北部にある桐郷市の杭嘉湖平原に位置する乌鎮は、オリジナル水郷風貌と千年をかけて蓄積してきた文化の豊かさで国内外の観光客を魅了し、江南水郷の代表とされている。十字形の水系は乌鎮を4つのエリアに分け、人々はそれらを「東西南北四柵」と呼ぶ。そのうち「東柵」は一番最初に開発されたエリアであったが、それより3、4倍も大きい「西柵」は観光客に今までのない、新たな体験をもたらすエリア。このような新鮮感は昼に限らず、ライトアップした夜でも実感できる。
観光スポット
益大糸号工房
烏鎮は昔から「シルクの郷」と言われている。清朝の中末期、烏鎮のシルク業は最高峰に達し、張同盛、徐添源などのような百年以上もの歴史を持つ老舗も林立している。
益大糸号工房は光緒元年(1875年)沈学昌によって建てられた。何十年の歳月を経て、行き届いたサービスと低い値段で町の住民に親しまれるようになり、蘇州、上海、杭州へと名声が広がった。1923年、沈永昌の息子の沈学文が家業を引き継ぎ、何年間かけて「織錦花楼機」を創りだした。地元の人はこの器械で作ったシルクを「烏錦」と呼ぶ。
草木本色染坊
手作りの布を捺染する大型工房。敷地面積2500㎡、晒布场(布を干すところ)の地面には青いレンガ

が敷いてあり、長い竿や階段式の布を干す棚がいっぱい並んでいる。草木本色染坊はブルーキャリコを作る以外、独特な彩烤工芸も展示している。工房の染料はすべて茶の葉、桑の木の皮などのような地元の草木原料から抽出したものなので、この工房は「草木本色染坊」と呼ばれる。
叙昌醤園
中国は最初の醤油の生産国。今まで既に2000年以上の歴史を持っている。1859年、陶叙昌という地元の人は自分の名前で醤油園を創立

した。最初は主に豆瓣醤、醤油、漬物などを販売し、すべて手作りであった。
昭明書院
南朝の時、梁国の昭明太子蕭統は烏鎮の筑館で勉強していたことから、「昭明書院」と名づけられた。書院は南向きである。本館は図書館、文化、社会科学、芸術、旅行などについての本や雑誌がここで読める。電子閲覧室、講堂、書画、教室なども完備。前庭には4つの池があり、周りに空に届くような古木が植わっている。正門の入口のところに明朝の万暦年(1573~1620年)に建てた高さ5m、幅3.8mの石の牌坊(忠孝貞節の人物を顕彰するために建てられたアーチ様の建物)も残っている。
書院の西側は憩いの場「払風閣」、後ろに「茅盾文学賞」を受賞した作家の写真とその作品を展示する展覧館がある(烏鎮は中国の文学巨匠である茅盾の故郷)。
老郵局(古い郵便局)
烏鎮は郵政の歴史が長い。唐代に京杭大運河のおかげで既に商業の盛んな街であった。元朝から、烏鎮にたくさんの水駅を設立し、船で書状などを送りあった。烏鎮の西市河は京杭大運河の支流で、老郵局はその西市河の畔に位置する。西栅にある木造の古い屋敷とは違って、この郵便局はレンガで造ったもので、正門は洋式の鉄製の門である。全体を見ると東西洋折衷のイメージが強い。百年以上も経った今でも営業が続いている。ここでハガキを買って、友達や家族に送ることも楽しみ。
庁上庁
朱家庁は烏鎮に住んでいた富豪朱氏の邸宅。烏鎮の人はそれを「庁上庁」と呼ぶ。烏鎮は優れた位置に恵まれ、町には商業を営む人が多かったため、お金持ちの屋敷もたくさんある。例えば、東大街の徐家庁、趙家庁など。朱家庁はこれらの屋敷のメリットを持つ以外、「庁の上にまた庁がある」というところが朱家庁ならではの特色である。火事を防ぐために、朱家庁の二階の床にレンガを敷いてある。 防火だけでなく、レンガを敷いた床の上を歩く時出た音は、何も敷かないのと比べてかなり小さいので、一階での商売の邪魔にもならない。こういった構造の建物は当時において非常に珍しかった。
朱家庁の正堂は「肇慶堂」と呼ばれる。それは官途を辞め宝石の商売を始めた主人は「肇慶堂」という宝石店を開いたからである。上質な品で当時の江南あたりで名高かった。今の朱家庁でも数多くの金と銀のアクセサリーが展示されている。

白蓮塔(寺)
烏鎮に仏教が伝わった歴史は長い。南梁に既に仏教寺院が現れた。白蓮塔は旧称「金蓮塔院」、北宋の崇寧年(1102~1106年)に建てられた。最初は十景塘の北、天井巷の西に位置したため、地元の人はそれを「西宝塔」と呼んでいた。東栅の寿聖塔に加え「東西宝塔」という呼び方は今でも残っている。
元の白蓮塔は元朝の末期の戦争によって崩壊したが、その後何回もの修復作業を経て、今の白蓮塔は7階建てで、高さ51.75m、烏鎮の一番高い建物。塔の下には八角形の昇蓮広場があり、中には放生池が設けてある。白蓮塔から烏鎮の景色が一望できる。船に乗って烏鎮へ行く時、白蓮塔が目に入れば烏鎮はすぐ先だと分かる。
霊水居
敷地面積20000㎡の霊水居は、西栅最大の園林建築。中国文学の巨匠である茅盾はここに眠っている。茅盾記念堂とその陵墓も霊水居の東側に位置している。実は茅盾だけでなく、中国革命に大きく貢献した王会悟、孔令境、沈沢民たちの記念館も霊水居にある。園内に入ると、まず目に入るのは、中国らしさを感じる模様が刻まれている曲がる壁である。このような規模の大きい園林は古鎮において非常に珍しい。
茅盾記念堂
茅盾は烏鎮の誇りである。2006年7月4日は茅盾の110歳の誕生日で、地元の人は彼と妻の孔徳沚の遺灰を迎えるために、茅盾記念堂を建てた。記念堂は霊水居の中に位置し、敷地面積約1000㎡。全館は2階建てで、館内に茅盾の形見59点、書籍1000冊近く、写真90枚など貴重な資料が陳列されている。。
記念堂の左側は茅盾が使っていた書斎。それは北京にある茅盾故居の構造に基づいて還元されたものという。右側は茅盾の形見を展示する部屋。真ん中の池には茅盾の彫塑も見える。

茅盾陵園
茅盾陵園も霊水居の中に位置し、墓は東側の山坂に建てられている。西大街の一番高いところである茅盾陵園から、茅盾が暮らしていた街の景色がよく見える。この陵園は、茅盾の作品「子夜」にちなんで、「子」の字のように配置されている。また、陵園までの道に85段の階段があり、それは茅盾は85歳で亡くなったという意味を持っている。
陵墓の前に茅盾の半身銅像が建っており、その後ろの墓穴に彼と妻の孔徳沚の遺灰が安置されている。東側は茅盾の母親陳愛珠の墓である。元々は乌镇东栅にあったが、茅盾の遺族のお願いでここに移されてきたという。それは茅盾自身の生前に満たされなかった願望でもある。
三寸金蓮展館
何百年前、女性の美を顔や体形でではなく、脚のサイズで判定する封建社会に、女性が幼いうちに足を巻く習慣は1000年も続いていた。あの頃、女性の足を「蓮」に例えるのは流行りであった。サイズによって「金蓮」、「銀蓮」、「鉄蓮」などの呼び方があり、そのうち一番小さい「金蓮」(3寸、約10cm)は女性たちが目指していたサイズ。今私たちが言っている「金蓮」はあの時の女性が履いた靴のことを指すのが多い。
三寸金蓮展館は「金蓮」の歴史をテーマとする展覧館。大量の貴重な実物と図鑑を用いて、中国の歴史上における、歪んだ「美」を追い求め続けた女性たちの辛みを物語ってくれる。館内に各地、各時期のデザインが異なる「金蓮」825足が展示され、ぞれぞれに詳しい説明も付いている。それらの展示品を通し、昔中国女性の血の涙がよく分かる。
烏将軍廟
「烏鎮」という名前の由来についてはいくつかの説があるが、烏鎮の人のほとんどが「烏将軍」を記念するために「烏」と付けたと信じる。烏将軍は名前が烏賛、唐代の勇敢な名将。彼は国や庶民を愛していたが、戦争で殺された。その後、彼を記念するために人々は烏将軍廟を建て、烏将軍も烏鎮の守り神になった。その廟は敷地面積3600㎡で、中殿にが供えているの

は烏将軍の彫像。
元宝湖
元宝湖は面積11600㎡、平均水深2m、中市河、護鎮北河、西市河その3本の支流が合流してできた烏鎮最大の湖。湖中にある通安島は元宝の形をしていることから、「元宝湖」と名づけられた。湖の東側は観光客のサービスセンターで、中に埠頭もある。向こうは安渡坊埠頭、西栅に入

るとすぐ見える。南側は通安島、北側は原生の岳。
徐昌酩画院
西栅の古い街の真ん中に位置する徐昌酩画院は、烏鎮の郵便局に隣接し、有名な画家徐昌酩の旧宅。徐昌酩は17歳になるまでずっとここで暮らしていた。画院は主に徐昌酩の作品と収集を展示する以外、烏鎮のほかの書画家に創作の場所として提供する。
チケット情報
価格
東西栅の通しチケット:150元
西栅のチケット:120元
西栅の夜景のチケット:80元
注意:1.チケットは当日有効。
2.西栅の観光スポットがほとんど17:30閉園、夜景のチケットは普通のより安い。
チケットの販売時間
東西栅の通しチケット:西栅の切符売り場8:00~12:00
西栅のチケット:8:00~24:00
西栅の夜景のチケット:5月~9月、17:30~22:00
10月~翌年4月、17:00~22:00