法門寺は阿育王寺と呼ばれ,重点文物保護単位

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法門寺

法門寺

 

 

 法門寺は、陝西省宝鶏市から10km離れる法門鎮に位置する。東漢末期に建てられ、今までおよそ1700年の歴史を持っている。北周以前は「阿育王寺」と呼ばれ、唐代の時、全盛期を迎えた。法門寺は皇室寺院として、唐代の仏教、政治に大きな影響を与えた。中に、釈迦牟尼の仏舎利が安置されているため、中国で有名な仏教聖地となっている。                                                                                                                                                                                                               
 
 初唐は既に、阿育王塔は古代代インドのアショカ王が全世界に建立した八万四千の塔の一つであるという信仰が根付いていた。武徳元年(618年)には、寺を宝昌寺から独立させ、寺の名を「法門寺」と改めた。

 貞観5年(631年)、張亮によって塔が修復され、顕慶5年(660年)、唐高宗が宝塔内の仏舎利を東都洛陽の宮中に迎えて法要を行ない、併せて塔の修復も行なった。これは、その仏舎利を30年に1度だけ開函し、供養したならば多大な功徳が得られ、国家安泰を得るという伝承を受けたものである。ただ、この事業を推進した立役者は武則天であると考えられている。

 その後、武則天の息子である唐中宗は、阿育王塔に対し「真身宝塔」の名を奉っていた。また、中宗                                                                                                                                                                                 の皇后で「武韋の禍」で知られる韋后らは、髪をおろして塔に施入していた。景龍4年(710年)、改めて寺名を「聖朝無憂王寺」、塔名を「大聖真身宝塔」と変えた。

 元和14年(819年)、唐憲宗が仏舎利を長安に迎えることを計画した。それに対して韓愈が「論仏骨表」を上呈し、その非を訴えたが、受け入れられず、仏舎利は盛大な法会と共に長安に迎えられ、韓愈は広東省に左遷された。

 開成3年(838年)には、寺名を「法雲寺」と改めたが、間もなく「法門寺」に復した。

 会昌の廃仏の時、法門寺も被害を受けたが、懿宗代に盛大な法会と共に仏舎利を長安に奉迎し、法門寺を盛大に修復した。
 
 1956年8月、「重点文物保護機関」と認定された。1979年、陝西省が大雄宝殿と銅仏閣を修復した際、地下から唐代の遺物が出土した。
 
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