烏鎮東栅 中国の水郷の生活を体験

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烏鎮東栅

 東栅は一番最初に開放された烏鎮の景勝地。観光を中心とする東栅に百床館、茅盾故居、三白酒坊などの観光スポットがある。敷地面積0.46k㎡、オリジナル水郷の風貌と文化の奥行きで毎年、200万人の国内外の観光客を引き付けている。
 
観光スポット
 江南百床館
 東柵に位置する江南百床館は面積が約1200㎡で、江南の古いベッドを収集・展示する博物館。「趙家庁」とも呼ばれ、中には数十台の明、清、近代のベッドが保存されている。
 館内に2つの展示室がある。第一展覧室に陳列されているのは明代の馬蹄足大筆管式架子床など。素朴な木製構造の家具の姿が美しく、しかも木材そのものの色つやと筋目をバランスよく利用した。第二展覧室にあるのは清の抜歩千工床など。材質も優れており、工芸技術も複雑。木彫ベッドの中の逸品とも言える。そのうち、ツゲの木で3年をかけて作った長さ217cm、深さ366cm、高さ292cmの抜歩千工床は百床館の重宝でもある。
 百床館を見物する際に大事なのはベッドの数にこだわるのではなく、ベッドから反映された歴史文化と昔人々の生活ぶりを味わうことである。
 烏鎮 江南民俗館
 
南民俗館 
 東栅にある金家は地元のお金持ちであった。彼らの屋敷は昔江南地方の生活ぶりを記録した。ここでは清朝末期から民国時代にかけて烏鎮民間の冠婚葬祭についての民俗を展示している。
 衣俗庁に実物、蝋人形、写真などを用いて百年前の江南民間の服装が展示されている。節俗庁では時節によって烏鎮の人の違う生活習慣を反映している
。たとえば、旧正月の年賀、上元の橋渡り、清明節の香市、立夏の体重計り、端午節の粽、ぺーロン競漕、中元の河灯、中秋節の月見、重陽節に山登り、冬至の先祖祭りなど。
 婚俗庁では喜堂(昔の結婚式場)で拝天地(新郎新婦が天地の神に礼拝してから向かい合って礼拝する儀式)を中心に、新郎新婦、仲人、親などの人物および嫁入り道具と「花轿」(婚礼に新婦を乗せる飾りつけた輿)を通して昔の結婚式の場面を再現している。    
 寿俗庁はお年寄りの誕生日祝いをテーマに、字画、寿桃(誕生日祝いの桃、または桃の形に作った饅頭)、寿面(誕生日祝いに食べるうどん)などを通じて敬老という中国の伝統を展示するところ。
三白酒工房
 昔、烏鎮の酒の醸造業が発達したそうである。明代は20軒以上の工房があり、そのうち特に有名なのは高公生、順烏鎮 三白酒工房興、永盛その3軒。今は高公生糟坊だけが残されているが、そこから産出した「三白酒」は芳醇な香と濃厚な味、優れる口触りで当時の皇帝の朱元璋にも褒められ、貢物となった。数百年にわたって江南あたりで人気が高かった。
 高公生糟坊は前部は店頭で、後部は作業場という形になっている。現在は主に55度の三白酒、12度の白餅米酒と4度の甘白酒を作っており、いずれも伝統工芸技術を用いた手作りである。昔の田舎では旧正月の際、三白酒で来客をもてなすことが多かった。
烏鎮 宏源泰染坊
 
 宏源泰染坊 
 中国のブルーキャリコは世界有名。烏鎮はブルーキャリコの産地の一つ。宋朝から元朝にかけて建てられた宏源泰染坊は元々南栅にあったが、清朝の光緒帝の時今のところに移されてきた。ここはブルーキャリコの産地だけではなく、ブルーキャリコ製品の集散地でもある。
 ブルーキャリコは中国の民間工芸で、今まで既に千年以上の歴史を持っている。伝説によると、葛洪という農夫が妻のために発明した物だそうである。優れた品質に安い値段で民間で流行っていた。原料の布、染料は田舎からのものが多く、模様もほとんど花、草、木などのような、畑や農舎の近くでよく見られるものが多数。自然かつ典雅な青と白の2色で人々に愛用されていた。染坊の西側のブルーキャリコ収蔵館にたくさんのブルーキャリコ製品が展示されている。
 ブルーキャリコの作り方には今になっても変わりはない。宏源泰染坊ではブルーキャリコが完成するまでの全ての手順が見られ、店頭でのブルーキャリコ製品の購入も可能。

 
江南木彫陳列館
 江南木彫陳列館は元々徐家の豪邸で、「百花庁」とも呼ばれ、美しい木彫で有名。特に門や窓に刻んだ人物、鳥、野獣烏鎮 江南木彫陳列館などは生き生きしている。木彫の題材は豊かで、「八仙過海」が代表とする伝説のほか、「漁」など生活の場面や「梅蘭竹菊」などの伝統模様がある。館内に入ってじっくり見れば、中国何千年も続いてきた木彫文化の神髄が実感できる、とても見る価値のあるところである。
 烏鎮 余榴樑銭弊館
余榴樑銭弊館 
 余榴樑は烏鎮出身で、「中国花銭」、「中国鑑賞と収蔵」、「銭弊」など貨幣にかかわる作品を多く出した貨幣収集の大家である。彼は40年をかけて230ヵ国の26000種類の貨幣を集めた。銭弊館では夏商から現代にわたって、材質が異なる15種類もの貨幣を展示している。 
 
 文昌閣
 立志書院の前には文昌閣という楼閣がある。そこは昔書生たちが勉強するところであった。清朝末期に科挙制度が廃止されたことにより文昌閣は町の人々の遊び場となった。
 
 茅盾記念館
 同治四年に建てられた立志書院は茅盾故居の東側に位置し、今は茅盾記念館になった。前身は有名な分水書院で、清朝の咸豊10年、清軍と太平軍が烏鎮で交戦したことによって崩壊したが、その後再建され、名前も「分水」から「立志」に変わった。立志書院は今でもほとんど当時の姿のままで、ただ茅盾記念館として、文字や写真を使って茅盾の輝いた人生を紹介する。
 
 茅盾故居 
 十九世紀の中葉に建てられた茅盾故居は文学家の茅盾(沈雁氷)が暮らしていた屋敷で、建築面積650㎡、清代の江南民居である。茅盾は1896年7月4日生まれてから1910年の春にかけてのおよそ13年間の間ずっとここで暮らしていた。
 茅盾故居には1934年茅盾自ら設計した書斎、植えたナンテン、シュロなどが残されているほか、「茅盾故郷の烏鎮」、「茅盾が歩んだ道」、「茅盾故居(復元)」と三つの基本陳列室も設けてある。茅盾故居は修真観劇台、唐代銀杏、昭明書屋などの文物と烏鎮の水郷風情に加え、茅盾の一生を研究するための「辞典」になる。
 
 修真観
 修真観は北宋の鹹平元年(998年)に、道士の張洞明はここで修行を終え、「修真観」を建てた。
昔から修真観は蘇州の玄妙観、濮院の翔雲観と並んで「江南三大道観」と呼ばれる。
 史料によれば、当時の修真観には三大殿があり、前から元武殿、三清閣、軒轅坛という順番で並んでいた。その後、何回もの崩壊と再建を繰り返してきたが、
今の修真観には三進があり、それは山門、東岳大殿、玉皇閣という。両側には十殿閻魔、瘟元帥、財神などの配殿がある。山門の真上に巨大んなそろばんがぶら下がっており、下に「人有千算、天則一算」(猿も木から落ちるという意味に近い)と警世の意味を持つ対聯が見える。 烏鎮 古戯台
 
 古戯台 
 修真観戯台は道観に付属する建築。1749年に建てられ、修真観と同じように何回も壊されたが、1919年の修繕作業が行われ、今も当時の姿を保っている。戯台は敷地面積が204㎡、修真観と観前街で隔てられ、南は東市河、東は興華橋に隣接。梁と梁の間に美しい木彫が施されている。昔、旧暦の5月5日の恵比寿を迎える祭り、3月28日の東岳を迎える廟会、5月15日の瘟元帥を迎える祭りなどがここで行われていた。
 現在は毎日の
8:00~22:00の間、桐郷花鼓戯(桐郷の地方劇)が演出されている。 
 
 夏同善翰林第
 中市の観後街に位置する夏同善の翰林第は、元々は普通の民家で、敷地面積も広くなかった。夏同善のおかげで増築された翰林第は、伝統民居と園林を一体化した観光スポットと変わった。ここで清朝末期の江南古鎮に住んでいたお金持ちの生活ぶりが体験できる。 
 
訪盧閣
 中市の応家橋の南側に位置する訪盧閣は、中市大街に面し、後ろは車渓市河で、そこから観前街の町並みが一望できる。訪盧閣は昔烏鎮の一番よい茶館であったが、今は観光客が必ず訪れる景勝地である。
 この名前の由来について面白い伝説がある。昔、盧という人がいて、彼は小さな茶館を経営していた。ある日、太湖の近くの山へ茶の葉を摘みに行った彼は、偶然中毒して倒れている茶聖の陸羽を救った。そのお礼として、陸羽はいろいろなお茶の知識を盧に教えた。茶館もこの出来事で「訪盧閣」と呼ばれるようになった。
 
 匯源質屋
 烏鎮の中市にある常豊街は伝統の商店街で、匯源当という質屋は応家橋と南花橋の間に位置する。昔、烏鎮は周辺地烏鎮 布靴工房区の商業中心であった。明朝末期から清朝初期にかけて烏鎮の質屋は13軒もあったが、太平天国が出来る前まではまだ7軒残っていた。太平軍と清軍との交戦によって、西柵と北柵が大いに壊され、質屋も一時姿が消えたが、民国初期に入って質屋の数が5軒までと蘇った。それは东栅葆昌当、南栅宝生当、西栅丰泰当、北栅淳泰当と中市匯源当。しかし、20世紀20年代頃、前の4軒は営業不振または強盗による略奪で潰れてしまい、匯源当だけは生き残っていた。その後、中日戦争が起こり、
匯源当も倒産し、これで烏鎮の質屋の歴史が幕を閉じた。今残されている質屋は昔中国の金融業の縮図である。
 
真綿工房 
 烏鎮は「シルクの故郷」の中心部に位置し、そこから産出した真綿は純白で紙のように薄い。真綿は全て手作りで、その通気性、保温性は抜群。今の「太空棉」は真綿と比べものにならない。
 
布靴工房
 布靴は昔の中国人の生活に欠かせない物である。地元の人はほとんど家に布靴が用意してある。
休みの時布靴を履き替え、この「ダサい」快適さを楽しむ。街にも布靴を売る店が随所に見られるが、この工房で売っているのは本場の「千層布靴」(靴底を何枚も重ねて厚くする布靴)であ烏鎮 応家橋る。さらに靴底に皮をつけるタイプもあり、そうすると例え地面が少し濡れていても構わない。
 布靴工房で布靴の作り方も見学できる。通気性が優れた、履き心地のよい布靴を履いて江南水郷を散策してみては? 
 
 古い橋
 烏鎮に百本の古い石橋もある。形の違う橋は河を結び、南宋から明清にかけて、それぞれの橋に個性と物語を持っている。 
応家橋
 茅盾故居の前ある三里塘河に7本の橋が架かっており、橋と橋の間隔は60m、まるで「橋の博物館」のようである。そのうち一番有名なのは応家橋。呂洞賓という仙人が旧正月に下界に降り、お年寄りに化けて応家橋の上で湯団(糯米の粉で作る団子状の食品)を売っていたという伝説がある。茅盾は子供の頃よくここで遊んでいたから有名になったという説もある。 
逢源双橋
 東栅に位置する特色を持つ古い橋の逢源双橋は、その上に廊棚(屋根が付いている街)があるから、「廊橋」と烏鎮 逢源双橋も呼ばれる。橋の下には囲いが残っており、そこは昔の水路が出入りするところであった。双橋を渡る際、男が左、女が右を歩けば、何をしても全て順調に進むという伝説がある。逢源双橋からは財神彎を眺める最高の場所である。
 
 
 財神湾と財神堂 
 財神湾には広間、廊棚、水閣など水郷独特な建築がすべ烏鎮 財神湾てそろっている。廊棚、水閣が河、青空につながり、古い街も民居に伸びている。財神湾は元々「転船湾」と呼ばれてい
た。烏鎮の水系が特別で、「十」の字の形をしている。東柵の突き当たりに近づけば近づくほど河道が狭くなり、船がここでユー・ターンできるように河を掘った。隣には財神堂があるから、ここも財神湾と呼ばれるようになった。
 財神堂には等身の恵比寿の+彫塑が供えている。その原型は比乾丞相で、仁義のため心を取り出して死んだという変わった恵比寿である。毎年の旧暦の1月5日、地元の人は財神堂へ香をたいて幸せを祈る。 
 周りに香山堂薬店、逢源酒楼、財神湾茶庄などがあり、町の住民が集まる新たな場所となった。
 
 江浙分府
 江浙分府は明代に「浙直分署」と呼ばれ、烏鎮の歴史上の特別な政府機関である。明朝の嘉靖年に建てられ、民国初期に撤廃されるまで370年も経った。当時の烏鎮は浙江省、江蘇省の境にあり、重要な商業地であった。万暦3年(1575年)烏鎮辺りで塩の盗難事件が多かったので、塩泥棒を捕まえるためにこの分府が設立された。2004年、清朝の同治年の姿に基づいて江浙分府が立て直された。 
 
チケット情報
 価格
  東西栅の通しチケット:150元
  東栅のチケット:100元
 注意事項1.チケットは当日のみ有効。
      2.東栅のチケットを大切に保管してください。各スポットを観光する際にチケットのチェックが必要となる。    
 チケットの販売時間
  東西栅の通しチケット:東栅の切符売り場8:00~16:00
  東栅のチケット:3月~9月、8:00~18:00(茅盾故居は17:30閉館)
         10月~翌年2月、8:00~17:30(茅盾故居は17:00閉館)

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